特集ワイド:もう一度、さよなら 歌手・坂井갠…
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20071218dde012040002000c.html
毎日新聞 2007年12月18日 東京夕刊
特集ワイド:もう一度、さよなら 歌手・坂井泉水さん=5月27日死去・40歳
◆’07レクイエム
◇等身大の歌、勇気与え--人の傍らにある喜びや悲しみを自分らしい言葉で、音楽
を通して表現していきたい
彼女の過ごした日常を感じようと、東京郊外にある彼女の自宅の近くから、六本木の
スタジオまでの道のりを歩いてみた。会社員が通勤するように、定期的にスタジオ入り
していた彼女。電車を使っていた夕方の時間帯に、その私鉄に乗った。
車内は帰宅途中の人であふれていた。ふざけ合う中学生。おしゃべりに花を咲かせる
年配の女性たち……。帽子を深くかぶって1人で通っていたという彼女。にぎやかな車
内で孤独ではなかったのか?
そう思った時、すらりとした1人の少女が入ってきた。一つに束ねた長い髪が彼女と
重なる。新体操の道具だろうか。肩にかけた大きな布カバンからプラスチックの棒がの
ぞく。夢中になっているものがある人特有の目の輝きが印象的だ。ああ、そうか。彼女
もそういう人だったのに違いない。静かに暮らしていても、大好きな楽曲作りで心は躍
っていたはず。彼女を追いかけて乗った電車の窓から、夕方が夜に変わっていく景色を
見ながら、そう思った。
♪
負けないで もう少し
最後まで 走り抜けて
どんなに 離れてても
心は そばにいるわ
追いかけて 遥(はる)かな夢を
(JASRAC出0717308-701)
ZARDのボーカルで作詞も担当していた坂井泉水さんは、90年代を代表する女性
アーティストだ。メディアに登場しないことで知られ、16年間の活動でテレビ出演は
初期の7回だけ。ライブ活動もごく少なかったため、神秘的なイメージが最後まで残っ
た。作詞は150曲超。悩みながらもがんばる前向きなメッセージが込められた歌詞は
多くの人を勇気付けた。
がん治療のために入院していた病院内の階段から転落して脳挫傷で死亡した事実に、
ファンは大きなショックを受けた。6月の音楽葬には全国から4万人以上が駆け付けた
。
音楽評論家の富澤一誠さんは「負けないで」が93年に160万枚を超える大ヒット
となった背景について「バブル崩壊と前後する時期で、ベルリンの壁やソビエト連邦の
崩壊などそれまでの価値観が崩れ去った時代。就職氷河期でもあり、多くの人が『頑張
らないといけない。でも1人では頑張れない。誰かに“頑張れ”と言ってほしい』と感
じていた」と分析する。
♪
「負けないで」に励まされた人は多い。94年にセンバツ高校野球の入場行進曲に選
ばれ、「24時間テレビ 愛は地球を救う」の24時間マラソンの応援でも大合唱され
る。彼女自身、ZARDとしてのデビュー前、キャンペーンガールなどとして活動しな
がら歌手の道を模索していた。等身大の歌は、今も多くの人を励まし続けている。
五輪マラソンのメダリスト、有森裕子さんは「ランナーは過酷な状況の下、自分と向
き合う中でいろいろな思いを持ちながら走っている。そういう中でこの曲はランナーの
励みになってきたし、これからも励まし続けてくれるだろう」と話す。
ファンたちは彼女の言葉に人生を支えられた。千葉県柏市の漫画家アシスタントの男
性(32)は子供のころから夢見た漫画家を目指して会社を辞めようとした20代前半
、自分の新しい世界を開こうと歌った「新しいドア」などに励まされた。「昔はただ単
に絵を描くのが好きだったけれど、彼女のように人を元気づけられる作品を作りたいと
思うようになり、そんな作品を目指すようになった」
神奈川県在住のピアノ調律師の男性(41)は、当時交際していた妻(37)の影響
で聴き始め、93年の結婚式では3曲を使った。結婚翌年に流産した際には「負けない
で」に夫婦で励まされ、現在中学生の娘3人の親となった。「自分の道のりを歩くこと
にささやかな誇りや喜びを見いだした時、歩き疲れて希望を見失いそうになった時、ふ
と横を振り向くとやさしくほほえみかけてくれる彼女がいた」
富澤さんも「マラソンに伴走者がいるように、彼女は生き方が鮮明に見えない時代の
『人生の伴走者』だった」と指摘する。彼女自身も「普通の人の傍らにある、喜びや悲
しみを自分らしい言葉で、そして音楽を通して表現していきたい」という言葉を残して
いる。
ヒットが出て有名になった後でも1人で電車に乗ってスタジオに通い、スタジオの植
木の草を抜いたり、電話取りも自然にした彼女。ブランドものをあさったり、夜遊びを
するでもなかった。7万~8万円のコートを買うのに散々迷った一方で、家族のために
家を買う家族思いの女性だった。
大阪のスタジオに行くため新幹線に乗っていたある日、「ZARDの坂井さんですよ
ね?」と声を掛けられ、「あっ、よくそう言われるんです」と言って逃げてきた。その
ことを、実はうれしそうに話したという。映像担当として初期から知る高野昭彦さんは
「そういうところ、可愛いんです」と笑った。
日常生活では穏やかだったが、曲作りには厳しくスタッフとも意見をぶつけ合った。
イメージ通りのものができあがるまで妥協せず、納得がいくまで努力を続けた。長年曲
作りにかかわってきた渡部良さんは「本当に歌うこと、作ることが好きだった。歌を作
るべくして生まれてきた。彼女が音楽制作に人生をささげたのは事実」と話す。
亡くなった後、自宅からは300枚を超える歌詞のメモ書きが見つかった。映画が好
きで、DVDを借りてきては作詞の参考にした。人の気持ちをおもんぱかり、多くの人
を勇気付ける言葉を探し続けたという。
♪
もう一度、彼女の曲を聴き直してみた。ポップなメロディーに乗る透明感あふれる歌
声。前向きなメッセージ。自然に元気がわいてくる。
負けないで ほらそこに
ゴールは近づいてる
バブル崩壊後の「失われた10年」に人々を支えた彼女。格差が広がり、希望が見え
にくくなる今の日本で、これからもたくさんの人にエールを送り続けてくれるだろう。
【中川紗矢子】
■人物略歴
◇さかい・いずみ
音楽ユニットZARDのボーカル。1967年、神奈川県生まれ。モデル活動などを
経て91年に歌手デビュー。「揺れる想い」「運命のルーレット廻して」などヒット曲
多数。闘病中に録音した最後の未発表シングル「グロリアス マインド」が12日に発
売された。
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※ 編輯: ryusaku 來自: 61.64.145.147 (12/18 21:56)
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