[新聞]「眠ったふりをしていた娘を置いて」MISI
看板MISIA (MISIA - 米希亞)作者CrystalDays (Endless World)時間1月前 (2024/12/31 02:43)推噓0(0推 0噓 0→)留言0則, 0人參與討論串1/1
https://chanto.jp.net/articles/-/1005947
「眠ったふりをしていた娘を置いて」MISIAの母・小児科医の伊藤瑞子 離島医療で夜間
の呼び出しに多忙な日々も「娘が夢を叶えられた理由」
歌手のMISIAさんの母・伊藤瑞子さんは、夫婦で医師として長崎県の離島で働く中、3人
の子どもたちは自由を楽しんでいたと振り返ります。周りに助けられたという子育て環
境とは。(全4回中の3回)
働くうえで「子どもたちが助けてくれた」
── 次女のMISIAさんは3人目のお子さんとして生まれたそうですね。
伊藤さん:6月30日が予定日だったのですが、長女が「七夕生まれがいい」と言ってい
て。本当に7月6日の夕方に陣痛が来て、7日の明け方に生まれたんです。
学校に行く前に生まれたばかりの赤ちゃんを病院に見に来て、「やっぱり私の言ったと
おり」というのが長女の自慢でしたよ。長男とは8歳、長女とは7歳離れています。2人
は本当に次女のことをかわいがってくれました。
── 夫婦ともに医師として働かれていて、お子さん3人で留守番をすることもあったそ
うですね。
伊藤さん:実は、子どもにとって親がいないというのは自由にできるチャンスでもあっ
たようです。上の2人が小学生になると子どもたちだけで半日くらいはお留守番ができ
ましたし、夏休みも今のように学童保育はないので、お昼にお弁当を作っていく日もあ
れば、お金を置いていく日もありました。昼食代でお菓子を買うのもまた楽しみだった
ようです。子どもたちの見守りのために相変わらずシルバーセンターの方の派遣をお願
いして自宅に来てもらっていましたが、親のようにはうるさく言わないので、好きなこ
ともできていたようです。
ひとりっ子だったら心配で置いていけなかったかもしれませんが、働くうえで、子ども
たちが親を助けてくれました。当時、ほとんどの母親は専業主婦だったので、寂しい思
いをしたことと思いますが、子どもも、ときには親がいない自由さを楽しんでいたとあ
とから聞いて安心しました。次女が3歳を過ぎて、民間保育所に移ってからは大変でし
たが、私も夫も仕事の土曜日の午後は、小学校高学年頃の長女が次女を部活に連れて行
ってくれました。「部活の間、何しているの」と聞いたら「練習中は監督が見てくれて
いる」と。本当にあちらこちらで、子育てを手伝ってもらっていたのですね。
── その光景を想像すると微笑ましいです。
伊藤さん:長男はさすがに頼んでも一緒に連れ歩いてはくれませんでしたが、小学校高
学年の男の子が4歳の女の子を男の子同士の遊びに連れて行くのは、今考えると気恥ず
かしいですよね。
そのころ、私と夫が勤務していた長崎県大村市の病院は、離島の重症の患者さんをヘリ
コプターで搬送していたのですが、夫が「自分たちが行った方が早い」と言い出しまし
て。私も長崎県対馬市の離島医療に携わることになりました。上の子2人が中学生のこ
ろで、次女はまだ保育所に通っていました。
── 離島での生活はいかがでしたか。
伊藤さん:上の子たちは最初「行きたくない」と言っていたのですが、部活動でお友だ
ちができ始めてから慣れていきました。そのころ、人口はおよそ46000人でしたが、現
在は過疎が進行しておよそ27000人になっています。何しろ医療過疎の島ですから、本
当に忙しくて私たち夫婦は仕事ばかりしていました。仕事の話を家ではしないご家庭も
あるかと思いますが、私たちは親が何をしているか、子どもが見てくれることで理解し
てくれていたのがよかったと思っています。ときどき親の議論に加わって、子どもが鋭
いことを言うのも面白かったですね。
夜も、子どもたちだけでお家にいることもありましたが、3人だったからこそできたこ
とだと思います。寒い時期に次女が、移動販売の焼き芋を買って、私たち両親の分をア
ルミホイルに包んでストーブの上で温めてくれていたこともありました。心に残る、嬉
しかった思い出のひとつです。今は難しいかもしれませんが、子どもたちだけで家にい
られる時代でした。
私たちはただ一生懸命、目の前の患者さんと向き合うことができました。離島の病院で
は24時間、病児保育つきの保育所を作りました。設立には反対意見もありましたが、こ
の保育所は今も続いていて、離島医療圏の女性も子どもを連れて単身赴任ができると伺
いました。小児科の診療に、検診や予防接種、住民への健康教室、産科の新設や周産期
寮の立ち上げと、離島での10年間は本当によく働いたと思います。
── 長男と長女は先に家を出たそうですね。
伊藤さん:上の2人は高校進学の際に、対馬を離れて私の実家から高校に通うことなり
ました。学童保育がまだなかったので、次女も小学校の夏休みには一緒に実家に預けて
いたのですが、長女が高校のプールに連れて行き、みんなに可愛がってもらっていたそ
うです。歌手デビューしてから「あのときの妹!?」とびっくりされたと聞きました。
宿舎に住んだことで、学年が近い子どもたちのなかで子育てができる環境にも助けられ
ました。次女が病院の宿舎で友達と遊んでいると、夕方になっても私たち夫婦が仕事で
帰れないときなどは、同僚の奥様たちが「うちで夕飯食べさせとくよ」と声をかけて下
さいました。なかなか遊びに出かけることもできずにいたのですが、日曜に私が仕事の
ときも遊びに連れて行ってくれましたし、近所の子どもたちみんなとお揃いの編み込み
のベストをプレゼントしてくださった方も。とにかく忙しくて仕事ばかりしていました
が、思い返してみると、困ったときは私たちの両親も含め、誰かがそっと手を差し伸べ
てくださっていたんだと改めて思います。周りの皆さんに助けられました。
── すごく温かい子育て環境ですね。お子さんたちも楽しそうです。
伊藤さん:今も仕事が大変なことは変わらないと思いますが、制度としては産休も育休
もあって、学童保育もありますけど、周りに助けてもらって子育てをする環境としては
シビアですよね。小さいお子さんには必ず親が付き添う必要があって離れられないです
し、今は子どもたちだけでお留守番して過ごすとか、子どもを他人の家に預けるなんて
こともなかなか難しい時代だと思います。私は、断然、子育てを始めるのは田舎がいい
なと思います。
幼少期のMISIAさん「好きなことに一生懸命」
── MISIAさんがひとりでお留守番することもあったそうですね。
伊藤さん:当時、病院からすぐ近くの宿舎に住んでいたのですが、夫が不在で私が夜中
に仕事があるときは、不安だろうと思って次女が眠ってから家を出ていました。ところ
があるとき、次女が眠ったふりをしていることに気がつきました。あとから聞いたら「
最初は早く行きたそうだからと思っていたんだけど、漫画の続きを読みたいし、見たい
テレビもあったし」って(笑)。そういう楽しみがあったから私がいないことも気にな
らなかったそうです。子どもってたくましいんですね。私たちも3人目の次女にはゆっ
くり構えていたと思います。
── MISIAさんは小さいころから音楽に触れていたのですか。
伊藤さん:次女は4歳のときに「ピアノを習いたい」と言って始めました。ピアノは、
上の子たちが習っていましたし、実は私も小さいころに習ったことがありました。ある
とき、バイエルのCDを聞く機会があって、そこで初めて「こんなに綺麗な曲だったの」
と思ったので、次女にはバイエルに始まり、ソナチネなどのCDを買ってきました。田舎
に住んでいたので、音楽について協力したのはそれくらいですね。
── 曲のイメージから入るんですね。
伊藤さん:はい、次女はいわゆる耳コピがよかったのか、覚えは早かったですし、何よ
り綺麗に弾いていました。上の2人もそうしてあげればよかったと思いましたよ。次女
が家でミュージカル曲の弾き語りをしてくれて家族で楽しんでいましたし、本人もみん
なに聞かせることを楽しんでいました。上の2人に対しては「とりあえず勉強をしてお
けば、希望する道に進める」と単純に思っていたので、塾に行きなさいとは言いません
でしたが、勉強しなさいとは言っていました。対馬に引っ越したこともあって、次女に
は、勉強、勉強とは言いませんでしたね。
── 歌はいつ頃から習い始めたのですか。
伊藤さん:小学2年生のころに地元の合唱団の定期演奏会に行き、その次の練習日にひ
とりで「入団したい」と申し込みに行ったんです。そしたら「保護者の方じゃないと申
し込めません」と言われたそうで。そこから歌も始め、10歳頃には歌手になりたいと思
ったようです。指導していただいた先生が音大の声楽科を出たばかりの方で、基礎的な
レッスンをしてくださったとも聞きました。やりたいことを見つける前に、勉強、勉強
と言って押しつぶさなくて良かったと思いました。本当に好きなことを見つけるって、
時間がかかりますよね。
次女の中学卒業のタイミングで長女が大学に通っていたので、福岡でふたり暮らしをし
て、高校に通いながら歌のレッスン受けることになりました。その2年後に、私達も足
掛け10年務めた対馬の病院を退職し、福岡に参りました。
── 見事に歌手デビューを飾りますが、小さいころからの夢を叶えられたのはなぜだ
と思いますか。
伊藤さん:本人は歌手になりたいという夢を叶えるために一生懸命でした。好きなこと
には一生懸命になれるということでしょうか。親が干渉すると子どもの自由さがだんだ
んなくなってきます。なんでもいいのでまず、好きなことをひとつ見つけられてよかっ
たと思いますね。学校と勉強は好きなものを見つけるためにあってほしいと親は願いま
すし、好きなことを叶えるために勉強するとなったら子どもも楽しいですよね。好循環
が回ると思います。
── 国民的歌手とも言われていますが、自分の娘が大勢の方の前で歌う姿をご覧にな
っていかがですか。
伊藤さん:私たち家族も、次女のライブが楽しみになっています。最初は、家族みんな
でドキドキしていました。夢を叶えて、みなさんの前で歌うことができているのは本当
にありがたいですし、ライブに来てくださるみなさんひとりひとりに御礼を言いたいく
らいです。次女は本当に運がよく、人に恵まれました。最初は誰もが素人なわけで、次
女も例外ではなく、そこをみなさんの経験から力を貸していただいてデビューできまし
た。本人もデビューしたときは、周りの方々の経験を全部つぎ込んでもらったと感謝し
ています。ひとりではこうなれなかったと家族みんな思っていますし、時代にも助けら
れたと思います。
次女はたまに、私たち夫婦が年を取っているから心配だと言って帰ってくるんですが、
家事全般なんでも、よく働いてくれますよ。家にいる時は今までと何も変わりません。
家族から見ても真面目で仕事人間だなと思いますね。
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