[新聞] Do As Infinityのヒット作『DEEP FOREST
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Do As Infinityのヒット作『DEEP FOREST』にこのユニットの成り立ちとそのコンセプ
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OKMusicで好評連載中の『これだけはおさえたい邦楽名盤列伝!』のアーカイブス。今
週はDo As Infinityのオリジナル作品の中で最高セールスを記録したという3rdアルバ
ム『DEEP FOREST』を取り上げてみた。デビュー間もない頃のDo As Infinityとはどん
なユニットであったのかを本作をもとに振り返ってみる。
※本稿は2019年に掲載
メロディーと歌詞にある大衆性
今回久々に『DEEP FOREST』を聴き直して、優れた工業製品のような音楽ユニットだな
と思った。非の打ちどころがない…とは流石に言わないまでも、ポピュラー音楽として
とてもよくできている。語弊があるので誰のどの曲と…とは言わないが、まずそのメロ
ディーは同時代のアーティスト、バンドと比べてもまったく遜色がない。いや、遜色が
ないどころか、どれもキャッチーでとても分かりやすい。M1「深い森」、M2「遠くまで
」、M8「Week!」、M9「冒険者たち」といった一連のシングルチューンはもちろんのこ
と、M3「タダイマ」、M5「翼の計画」、M9「Hang out」、M11「遠雷」などの旋律も実
に親しみやすいものだ。さらに巧みだと思うのは、伴都美子(Vo)の声やレンジとの相
性の良さ。彼女はさまざまな歌唱法を駆使するヴォーカリストでも、ことさら声量をひ
けらかすタイプでもなく、どちらかと言えば、生真面目な歌い方をシンガーと言えると
思う。良くも悪くも個性的すぎないという言い方もできるかもしれない。だが、そこが
いい。親しみやすさを助長するというか、簡単に言えば、その楽曲を誰もが口ずさみや
すくしているのだと思う。
歌詞の内容がそこに拍車を掛けている。いい意味で具体性に乏しい歌詞が多いのである
。以下、シングル曲を例に挙げよう。余白が多い故に行間を想像してしまい、そこに自
身を重ねることができる歌詞ではなかろうか。
《僕たちは 生きるほどに/失くしてく 少しずつ/偽りや 嘘をまとい/立ちすくむ 声
もなく》《僕たちは さまよいながら/生きてゆく どこまでも/信じてる 光求め/歩
きだす 君と今(振り返る/道をとざし/歩いてく 永遠に)》《立ちすくむ声もなく
生きてゆく 永遠に》(M1「深い森」)。
《あの丘の地図さえ (見失って)/色あせてく このときめき/三日月の こもれ灯 (い
つの間にか)/僕照らしてる この場所から/始めてみよう》《夜だからあの星は (輝け
るよ)/知ってますか? 思い出して/ひび割れた大地に (水あげよう)/一つぶずつ 両
手で雨/集めてみよう》(M2「遠くまで」)。
《ラッシュに飛び込んでく Monday/気に入らないスーツで Tuesday Wednesday/コピ
ーにつまづいてる Thursday/切り抜けただけの Friday ずっと》《会えないまま 過ぎ
てく Weekday/空白になったまんまの Saturday/突然 彼氏のTEL Sunday/口ゲンカ
だらけ BADな Holiday》(M8「Week!」)。
《揺らぐ陽炎(かげろう) 過酷な旅/道のりは遠きけど 後に 続け》《気まぐれでは行
きつけない/思いつきなど まかり通る事なく》《例え 朽ち果てて/全て 失くしても
/きっと 悔やみはしない/new frontier 待っていろ/いつか この後に/道は できる
だろう》(M10「冒険者たち」)。
M8「Week!」は辛うじて現代の物語であることが想像できるが、それとて、心地の良く
ないことが連続していることが分かるのみで、どんな主人公であるか、その背景らしき
ものも示されてはいない。M1「深い森」、M2「遠くまで」、M10「冒険者たち」に至っ
ては、歌詞だけではそのシチュエーションはほぼ分からず、進むべき道(と言ったらい
いだろうか)が示されているのみである。
そして、これもまた伴都美子に合っていたと思う。ファンならずとも、当時のDo As
Infinityを知る音楽ファンならば、彼女がクールな雰囲気の漂うアーティストであった
ことをご存知ではなかろうか。筆者は一度だけDo As Infinityにインタビューした経験
があり、そこで伴と話したことがあるのだけれども、こちらがイメージする20代前半の
女性に比較すると、随分と落ち着いた感じで話す人であったことを思い出す。そんな彼
女のキャラクターがあったからこそ、聴く人が感情移入しやすかったのかもと想像する
。
感情移入ということに関して言えば、“僕”という一人称が多いというのもその要因で
あろう。M1「深い森」、M2「遠くまで」、M10「冒険者たち」がそうだし、上記以外で
はM5「翼の計画」もそう。老若男女問わず、歌詞の世界観に入り込みやすい作りが成さ
れていたのではと思う。その一方で、これはアルバムならではのことだと思うが、M11
「遠雷」のような歌詞があることも見逃せない。
《隙間ない入道雲の下 あの日は 母と二人/日傘を差して 手を引かれ 歩いてた 夏の
道》《これからくる夕立の予感 響く遠雷/あれからの私達をまるで占うような》《あ
の日のあなたに近づいて はじめてわかる/突然しゃがみ込んで流した 最後の泪》(
M11「遠雷」)。
余白は余白でも、シングル曲とは異なり、わりと明確なシチュエーションと、少ないが
はっきりとした言葉だけを示して、聴いた者が考える余地を残している。優れた映画を
見るかのような余韻がある。シングル曲で見せたDo As Infinityらしさの派生のようで
ありつつ、そんな歌詞の楽曲をアルバムのラストに置くことでユニット自体に対する捉
え方自体も変わってくるかのようでもある。心憎いばかりのアクセント。この辺も巧み
である。
Vo&Guならではの音作り
さらにこの人たちの優れたところは、そのサウンドに見出すこともできる。Do As
Infinityは伴と大渡亮(Gu)とのふたり。ご存知の通り、ヴォーカリストとギタリスト
とのユニットである。どの楽曲にしても、ギターはアコースティック、エレキのいずれ
もがヴォーカルと拮抗するように配置されている。
柔らかでオーガニックな雰囲気のアコギの刻みから入るM1「深い森」。サビ頭のM2「遠
くまで」では、その頭のサビ終わりで印象的なギターのリフが聴こえてくる。M3「タダ
イマ」のサウンドは、そのM1、M2の中庸といったところだろうか。アコギのストローク
が歌に並走しながら、ポイントポイントでワイルドなエレキが鳴る。それに続く、ハー
ドロック的なアプローチを強めにしたM4「Get yourself」辺りから、このユニットの本
領があらわになっていく。前述の通り、伴はハイトーンを操るタイプのヴォーカリスト
ではないので、所謂ハードロックとはまた違う印象ではあるのだが、ギターリフと歌が
交差していく感じは如何にもロックバンドだし、このユニットの表現としては真っ当だ
。
M5「翼の計画」もそう。同期を前面に出してリズムにはクラブっぽい音(死語)を導入
しているのだが、基本的には伴、大渡のユニットであるのだからバンドサウンドにこだ
わる必要もない。それで言えば、M6「構造改革」はもっとイッちゃってる。冒頭からシ
タール&逆回転音と、完全なサイケデリックロック(その部分は、7thシングル「
Desire」のカップリング「CARNAVAL」の逆再生らしい)。それからのジャングルビート
が展開してホーンセクションも入って、しかも全体にはソリッドなギターが支配すると
いう超カッコ良いナンバーである。何か総力戦を挑んできたような印象で、ユニットで
あることの利点を最大限に活かしていると思う。オリエンタルな雰囲気のM7「恋妃」は
抑制が効いた感じでスタートするものの、Bメロからサウンドがガツンと重くなる、こ
れもハードロック的なアプローチを見せるナンバー。ヴォーカルのテンションも高い(
特に間奏明けがいい)。サビメロはキャッチーだがマイナー調で、初めて聴いた18年前
には“こんなこともできるのか…”との感想を抱いたものだ。
以降、さわやかなメロディーを持つM9「Hang out」を、M8「Week!」とM10「冒険者た
ち」という両シングルナンバーに挟む形で収録し、そこからたおやかなスローバラード
M11「遠雷」で本作は締め括られる。いい並びだと思う。前半と後半にシングルチュー
ンを配し、本作の中でのロックサウンドの極北とも言えるM6「構造改革」とM7「恋妃」
とを中盤に置くことで、大衆的でありつつも、それだけでないことをしっかりと示して
いる。しかも、その“それだけでない”楽曲は全11曲中2曲。全体の20パーセントを切
る割合で、決してマニアックな方向性を持ったユニットでないことも明白である(極北
とは言ったものの、それはあくまでのこのアルバムの中で…ということは念押ししてお
く)。そう言えば、当時この辺のことをメンバーに尋ねた時、“チラ見せする程度がち
ょうどいい”とにこやかに語ってくれたことを思い出した。悪い意味でのエゴがない。
その辺も彼女たちを優れた工業製品と言った所以である。
デビュー時にストリートで活動
工業製品なんて言い方をすると、彼女たちは作られたユニットであって、俗に言うお人
形さん的な感じかと思われる方もいらっしゃるかもしれないので、決してそうではない
ことを強調して本稿を締め括ろう。まぁ、もともとメンバー同士で自発的に始めたユニ
ットではないので、作られたユニットという言い方は一部では合っているのかもしれな
い。『DEEP FOREST』発売の時点ではフロントメンバーを離れていた、長尾大からDo
As Infinityは始まっている。彼中心のユニットをレーベルが主導するかたちで発足さ
せ、そこに伴、大渡が加わったというわけだ。しかも、それはすでにデビューシングル
「Tangerine Dream」(1999年)の制作に入っていた頃だという話もあるので、少なく
とも最初期において現メンバーのふたりは能動的に関わっていたとは思えない節もある
。
しかし──ファンならばご存知の通り、ストリートライヴを行なうことでユニットとし
ての音を固めていく。最終的にはストリートでのパフォーマンスは100本以上にも及ん
だという。長尾はすでに浜崎あゆみやhitomiらへ楽曲提供していたわけで、今となって
は随分と泥臭いやり方を選んだものだとも思うが、それは見事に奏功。彼女たちは“バ
ンドをやりたい”という意思を統一させた。その後、3rdシングル「Oasis」(2000年)
からアレンジャーに亀田誠治氏が加わり、所謂ロック色を強めていく(亀田氏はサポー
トベーシストとしてDo As Infinityにも参加している。『DEEP FOREST』では、特にM10
「冒険者たち」のランニングするベースラインが絶品!)。そして、先に述べたように
伴の歌も、大渡のギターもしっかりと自己主張していき、表舞台に立たなくなったとは
言え長尾にしてもコンポーズや楽器演奏においてその実力を発揮していったのは間違い
ない。
つまり、Do As Infinityとは誰かひとりが主導権を握るのではなく、そこに携わる人た
ちが持ち場を堅持することでそのフォルムを描き出したユニットだったと言える。もし
かすると、音楽制作に携わった人たちだけでなく、CMタイアップを決めてきたスタッフ
もDo As Infinityの一要素だったと言っていいのかもしれない。端から大勢の意思を反
映させて作品を創作するような方法論。それによって大量生産も可能になったのだろう
。デビューから3年間で14枚ものシングルをコンスタントに制作し、それらをことごと
くチャート上位に叩き込んでいる。これも立派なことだと思う。以上が彼女たちを指し
て工業製品のようだと言った理由であるが、往年のソニーの電化製品がそうであったよ
うに、あるいは現在のアップルの製品がそうであるように、そのコンセプトが優れてい
れば、工業製品と言えども実用一辺倒のものではなく、コアなファンを持つ芸術品にも
近いものとなる。Do As Infinityも同様であろう。
TEXT:帆苅智之
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