[連載] [サザンの軌跡と奇跡](10)80年 …
連載[サザンの軌跡と奇跡](10)80年代の代表曲「チャコ」の正体
サザンが再び、ブラウン管の前に戻ってきた。1982年1月、満を持して14枚
目のシングル「チャコの海岸物語」を発売する。2年ぶりに「ザ・ベストテン」にも
出演。桑田佳祐は、同番組内で「僕らの音楽がお茶の間に浸透するということを考え
たい」と発言する。タイトルの「チャコ」は、ロカビリー歌手として活躍し、その後
は「ビクター」で岩崎宏美やピンク・レディーなどを手掛けたディレクターの飯田久
彦氏(66)=現エイベックス・エンタテインメント取締役=のあだ名だ。当の飯田
氏は「桑田さんなりのシャレですよ。ユーモアみたいなものをすごく持っているんだ
よね」と桑田のセンスの良さを口にする。
同年1月26日。日本武道館のツアー最終日に、桑田はキーボードの原由子との結
婚を発表する。1万人を超える満員のファンを前に「みんな新年早々ですけれども、
報告します。僕は、原由子と結婚します。みんなありがとう」と堂々の宣言。会場全
体が祝福ムードに包まれた。2月28日には、東京プリンスホテルで披露宴が行われ
、ファン3000人も招待される。
おめでたい話題に引っ張られるように「チャコ─」の人気も次第に上昇する。初登
場こそチャート46位だったが、最高位2位を獲得。80年代のサザンを代表するナ
ンバーになった。
公私ともに充実の時を得て、桑田、そしてサザンは楽曲制作にも力を入れていく。
85年9月に2枚組みのオリジナルアルバム「KAMAKURA」を発売。レコーデ
ィングに1800時間を費やし、発売日を延期するなど、納得のいくまで楽曲制作に
没頭した。高垣氏は「みんないい曲だったから、捨てるに捨てられなくて。『どうし
よう? 2枚組みにしちゃおうか』って、自然発生的になりましたよね」と経緯を説
明。サザンの持つ潜在能力に「すごいですよね、この辺のエネルギーは。かなり脂が
のっていた時期。結婚、出産とハッピーなことが続いて桑田君の環境も充実していた
と思う」と目を丸くする。
その後、サザンはさらなる成長、発展を求めて個々にソロ活動を展開していく。桑
田は、ドラムの松田弘らと「KUWATA BAND」を結成する。(特別取材班)
(2008年8月10日16時25分 スポーツ報知)
http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20080810-OHT1T00297.htm
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