[連載] [サザンの軌跡と奇跡](9)露出を控 …
連載[サザンの軌跡と奇跡](9)露出を控え5か月連続で新曲発表
「いとしのエリー」が大ヒットを記録し、バンドとしての実力も認められたサザン
。デビューからの2年間は、怒とうのように過ぎていった。
人気沸騰の中でファンを驚かせた。1979年12月12日、東京・後楽園球場サ
ーカステントの秋ツアーで6か月間の休養を宣言したのだ。ただ休養ではなく、メデ
ィアへの出演を控え、レコーディング活動に専念するという意味。「FIVE RO
CK SHOW」と題して、5か月連続でのシングル発売を発表した。
神宮前にあるビクタースタジオにこもって楽曲制作に打ち込む日々。休む間もなく
毎日を送ってきたメンバーにとって、久々に味わう充実の時間になった。
80年2月に「涙のアベニュー」、3月に「恋するマンスリー・デイ」と、続けて
シングルを発表。ここにも、桑田のビートルズへの尊敬が取り入れられた。「ビクタ
ー」の高垣健氏(59)は言う。「ビートルズ的な、表舞台に出ないけど(楽曲の)
制作活動だけは維持しようみたいなものはありましたね。『FIVE─』の時は、レ
コーディングして作品が良ければ出せばいいみたいなところからスタートしたんです
」
最高位は「涙の─」が16位、「恋する─」が23位、「いなせなロコモーション
」が16位、「ジャズマン」が33位、「わすれじのレイド・バック」が41位。テ
レビやラジオなどメディアへの露出を減らしたこともあり、この時期のチャートは伸
び悩んだ。だが、メンバーの間に焦りはなかったという。「シングルが売れるより、
アルバムが売れる方が格好いいみたいな(当時の)風潮があったかな。シングルは歌
謡曲で、アルバムはロックだろうみたいな、そういうのもあったかもしれないね」(
高垣氏)。
にわかファンは減り、本当の意味でサザンの楽曲を愛するファンを獲得した時期で
もある。桑田は同時期に、所属の「アミューズ」製作の映画「モーニング・ムーンは
粗雑に」(81年公開)で音楽監督を担当。ここから得た発見、刺激を、サザンの楽
曲制作へと生かしていった。(特別取材班)
(2008年8月9日12時01分 スポーツ報知)
http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20080809-OHT1T00111.htm
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