[連載] [サザンの軌跡と奇跡](8)実力認め …
連載[サザンの軌跡と奇跡](8)実力認めさせた珠玉のバラード
「ザ・ベストテン」「夜のヒットスタジオ」の出演で、サザンは一気に全国区にの
し上がった。知名度も上がり、テレビへの出演や雑誌の取材なども増え、多忙を極め
ていた。
「勝手にシンドバッド」の発売から5か月後の1978年11月25日、2枚目の
シングル「気分しだいで責めないで」を発売する。桑田佳祐らメンバーを間近で見て
いた「ビクター」の高垣健氏は「この時は、桑田君もできなくて悩んでね」と、その
頑張りに感謝する。
忙しさに拍車がかかる中、79年3月、ついに珠玉のバラード「いとしのエリー」
が誕生する。
「勝手に─」「気分しだいで─」とアップテンポな曲が続いたが、メンバーの意向
もあって、イメージを一転させた「いとしのエリー」で勝負することに決めた。
名曲も、発売後の船出は厳しいものだった。日本武道館で行われたTOKYO F
Mの公開録音で初披露されたが、「サザン=ダンスナンバー」を期待した観客の反応
はあまり良いものではなかった。初動の売り上げも伸び悩んだという。
その一方でミュージシャン仲間、スタッフからは「本気だな、サザン!」という対
照的な声が上がっていた。当時「ビクター」で「ピンクレディー」のディレクターを
していた飯田久彦氏(66、現エイベックス・エンタテインメント取締役)も「すご
いいい曲書くなと思ったね。桑田君の才能はすごいと思ったよ」と絶賛する。
このころ、桑田が「オールナイトニッポン」のパーソナリティーを務めていたこと
もあり、ラジオで楽曲が披露された。また、ライブでの口コミもあって、徐々に世間
にも浸透していく。ロマンチックな歌詞とメロディーにファンは心を打たれ、いつし
かコミックバンドの偏見は消えていた。「いとしのエリー」は、サザンのバンドとし
ての実力を世間に認めさせ、代表ナンバーのひとつになった。
(2008年8月8日12時00分 スポーツ報知)
http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20080808-OHT1T00104.htm
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