慶應ジャーナル 輝き人!NO.73 倉木麻衣 前半
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輝き人!NO.73 倉木麻衣 / Mai Kuraki 前半
今回は”輝き人!”として歌手の倉木麻衣さんをご紹介します。
マイケル・ジャクソンに憧れて、高校生の時に鮮烈デビュー。
学業との両立に悩みながらも大学を卒業後は、震災の復興支援など様々な社会活動にも
精力的に取り組んだ。
音楽の輪を広げ続けて18年という月日が流れ、今彼女は何を思うのだろうか?
今回は”輝き人!”として歌手の倉木麻衣さんをご紹介します。
─PROFILE-
倉木 麻衣
1999年12月8日、『Love, Day After Tomorrow』で日本デビュー。同作よりミリオンヒ
ットを立続けに記録し、1stアルバム『delicious way』では400万枚を突破、日本を代
表する女性シンガーとなる。CD TOTALセールスは2,000万枚を突破、デビュー以来シン
グル41作全てがオリコンTOP10入りしており、ソロアーティスト歴代1位記録を更新中
。4月12日、劇場版『名探偵コナン から紅の恋歌(ラブレター)』主題歌「渡月橋 ~
君 想ふ~」をリリース。
また、音楽活動と平行して東日本大震災や熊本地震の復興やカンボジア寺子屋支援など
、社会活動にも積極的に参加。その活動が評価され、2016年2月公益財団法人日本ユー
スリーダー協会選出の第7回若者力大賞「若者力大賞」を受賞。
学生祭典では実行委員の一員として加わり、歌も披露させて頂きました。
─立命館大学出身ということで、どんな学生生活を過ごされましたか?
高校2年生で歌手になる夢を掴み、歌手の倉木麻衣として高校と大学生活を送ることに
なったのですが、すごく周りには協力してもらっていました。友達は授業に出られなか
ったノートを貸してくれたり、先生にもいろいろ助けて頂きました。
─大学時代は具体的にどんな勉強をされていましたか?
産業社会学部の人間文化学系というところにいたのですが、自分が興味のあることを研
究して、発表する場がありました。特にゼミでは、ライブ空間の考察を卒論で書いたり
していて。どう発信していけば、皆さんが賛同してくれるかなど仕事にも活きる研究を
していました。
─倉木さんにとって大学はどんな場所だと思いますか?
大学って自分のやりたいこと以外にも色んなジャンルを学べますよね。そこで興味を持
ったら突き詰めていくのですが、自分の持っている術を広げるチャンスだと思っていて
。私は学業以外にも思い出があって、倉木麻衣として立命館大学の中でライブをさせて
頂く機会があったのですが、特に京都の町を盛り上げるべく行われる学生祭典では私も
実行委員の一員として加わり、歌も披露させて頂きました。大学とコラボできたという
のはすごく良い思い出になっていますし、今でも先生や友達とは繋がっています。当時
学んだことが大人になって色々な形で生かされてもいますね。
─当時は学業に音楽にお忙しかったと思うのですが、どう両立を図られていましたか?
周りの大人が勉学に励む時間をなるべく作ってくれていて。あまり試験期間に仕事を入
れずに、なるべく大学が休みの期間に入れてくれたりと。それでも時間の配分ってすご
く難しくて、授業に出られず単位が取れなかったり、友達からノートを貸してもらった
り、スタジオまでの移動の間に必死に宿題をしたり・・・。でも、その生活を4年間や
りきって自信がつきましたし、自分なりの時間の使い方が身に付いたというのもありま
すね。
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ちょっと大人びた歌詞を書いていたと思います。
─学生時代は両立をされていましたが、社会に出たら音楽一筋で活動されますよね。そ
うなると時間的にも余裕が生まれそうですね。
学校に拘束されていた時間を音楽のために使えるので、よりライブに向けて動けたり、
曲を作る時間が増えました。その分色々な楽曲にトライするなど、自分探しができるよ
うになりましたね。
─学生から社会人になられて変わったことは?
今まではサポートしてもらっていた部分を自分でプロデュースしたり、ライブの細部の
演出までこだわる様になりました。また、歌詞にはその時感じた等身大の思いを乗せて
いますが、より明確にHopeを届けて行きたい、ライブを通じてもっと皆さんと会いたい
という気持ちが高まってきました。
─学生の頃に書かれていた歌詞をご覧になって、思うことはありますか?
学生の頃は早く大人になりたいという気持ちもあり、ちょっと大人びた歌詞を書いてい
たと思います。こうなりたいという夢だったり、あとは当時の自分の悩みや葛藤だった
り・・・。
─学生の頃にしか書けない詞はありましたか?
スペイン語の授業を受けていた時にスペイン語で歌詞を書いてみたり。あとは、京都の
情景や街並みとかを切ない心と共に発信した「Time after time ~花舞う街で~」です
ね。
試験勉強ですごく大変だった時期に、「always」という自分自身にもエールを送る気持
ちで作った曲もありますし(笑)。今となってはライブでは欠かさずに歌っています。
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歌手になると決めたのはマイケル・ジャクソンの「ムーンウォーカー」を観た時です。
─そもそも、歌手になられた理由はどちらにありますか?
幼い頃から歌が大好きで、家族みんなが洋楽を聴いている環境の中で育ちました。
祖父がカラオケセットを持っていて、お正月の親戚の集まりではみんなの前で歌ってい
たのですが、上手いねって褒めてくれるのがすごく嬉しくて。私が歌うことでみんなが
笑顔になってくれるっていうのでどんどん歌にハマっていって。本格的に歌手になりた
いと思ったのは、マイケル・ジャクソンの「ムーンウォーカー」という映画を観た時で
すね。衝撃的で、こんなにLove&Peaceを大事にしながら感動できる歌い手がいるんだ
って思ったんですよね。私も人を感動させられる歌手になりたいと思い、デモテープ作
りを始めました。
─倉木麻衣として活動してこれて良かったと思う時は?
色々なテーマを持っていつも歌の発信をさせて頂くのですが、コラボレーションしてく
れる企業などの出会いによって、どんどん音楽の輪が広がっていると思います。東日本
大震災では復興支援のボランティアとして自分にできることは何か考えて発信して、皆
さんに賛同してもらえる楽しさや喜びも頂けていますし。ファンの皆さんに応援して頂
けて、決してひとりじゃないという気持ちを繋いでこれたので、倉木麻衣として活動し
てこれて良かったと思いますね。この先も皆さんに育てて頂いた倉木麻衣を大事にして
いきたいです。
─ファンの方は倉木さんのどういったところに魅力を感じられていると思いますか?
直接お話をさせて頂いたり、お手紙を頂いて、私の歌詞や世界観が好きだと言ってくれ
たり、聴いてホッとしますなどのお言葉を頂くのですが、すごく嬉しくて。生きるのを
やめようとしていた人が私の歌を聴いて、生きてみようと思ったというお礼を頂いた時
は、人の人生を変えちゃうくらいに大きな影響力があるんだって思えました。私として
は希望を繋いでいける歌手でいたいと思って、それを継続してきた感じです。
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闇から光に変わっていける音楽を発信して行きたい。
─多くの優れた才能がせめぎ合う音楽業界で生き残っていくには?
私は歌い手としてシンプルに皆さんと新しい音楽を作って、Love&PeaceとDream、Hope
を繋いでいきたい気持ちで活動しているので、あまりそこは考えたことはないですね。
自分のできることを模索しながら18年間やらせて頂いているのですが、途中めげそうに
なる時がありました。ライブツアーを終えて深く考え込んでしまい、歌っていてもしっ
くりこなくて。気持ちが乗らないまま歌っていても、皆さんには届かないと思って、少
しお休みを頂くことにしたんです。今ある環境から離れて自分自身を見つめ直すために
イギリスに留学して。せっかくお休みを頂いたので、語学勉強を進めようと思っていた
のですが、離れてみると改めて自分が恵まれていることが分かったんです。そこで自分
ってやっぱり音楽が好きなんだと気付けて、自分に喝を入れるために作った曲が「
Wake me up」です。その曲が少しでも当時の私と同じような心境にいる方が共感して頂
けて、頑張ろうって思ってくれれば良いな思っているんですけど。
少し話は逸れてしまったのですが、18年続ける中で小学生だった子が20歳を迎えたりし
ていて、ファンの方と私が繋がり家族になっていると思います。
─ご自身の人生の約半分である18年ってすごく長いと思うのですが、これまでやってこ
れた理由は何だと思いますか?
私に関わって下さった全ての方々のおかげですね。私は下積みがあって歌手になったわ
けではなく、ありがたいことにデビューしてから一年一年本当にたくさんの方に聴いて
頂けて今日まで続けて来れたと思います。なので、感謝の気持ちを歌を通して伝えてい
きたいです。
─倉木さんの音楽を通して世間の方へ届けたいものは何ですか?
その時々でメッセージや思いは変わってくると思うのですが、出会いによる変化は大き
いですね。一貫して言うなら闇から光に変わっていける音楽を発信していきたくて。な
ので、聴いてくれる方に寄り添っていけるような歌を発信したいですね。日本以外の国
でも色々なことにチャレンジさせて頂いているのですが、国を超えてハッピーの輪がど
んどん広がって行けば良いなと思っています。
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後編に続く。
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