[新聞]「女医は税金のムダと言われた時代」MISI
看板MISIA (MISIA - 米希亞)作者CrystalDays (Endless World)時間1月前 (2024/12/31 02:25)推噓0(0推 0噓 0→)留言0則, 0人參與討論串1/1
https://chanto.jp.net/articles/-/1005945
「女医は税金のムダと言われた時代」MISIA の母・伊藤瑞子が医師と子育ての両立に苦
悩し「ストレスで2回も十二指腸潰瘍に」
歌手のMISIAさんの母で小児科医の伊藤瑞子さん。子どもが熱を出して夫と揉めている
ときに「病気になってごめんなさい」と泣く3歳の娘の姿にハッとした経験があったそ
うです。(全4回中の1回)
「女医は税金のムダ」と言われた医学生時代
── 終戦の年にお生まれになったと伺いました。
伊藤さん:父が戦時中に満鉄に勤めていて、今の北朝鮮で生まれました。私は1945年4
月生まれで終戦が8月なので、戦後の混乱期の中、母が生後4か月の私を抱っこして日本
に帰ってきたんです。
母は「食べ物を欲しがるような年になっていたら、お腹が空いて我慢できずに泣いてし
まっていただろうけど、お水さえ飲めば母乳が少し出たから生き延びられたのよ」と言
っていました。まさに戦直後の混乱をくぐりぬけてきたと思います。祖父は、ひとりっ
子の私に「これからの時代は、女の子も手に職をつけて自分の力で生きていけるように
ならなきゃダメだ」と口を酸っぱくして言っていました。
── なぜお祖父さんはそう言っていたんでしょう。
伊藤さん:戦後は夫を戦禍で亡くした方、今でいうシングルマザーがたくさんいて、み
なさん苦労されていたからだと思います。祖父は、女性も何か手に職があれば生き抜い
ていけると思ったんでしょう。でも当時の私は、自立しろと言われて浮かんでくる職業
は学校の先生か医者でした。あのころは、ひとクラス60人学級で先生は大変そうだなと
幼心に思っていましたので、医者になろうと思って長崎大学の医学部に進学しました。
── 女性で医学部に入る方は今よりだいぶ少なそうです。
伊藤さん:当時、女子学生は全体の1割もいませんでした。大学の教授は「女性はいず
れ結婚して辞めてしまったら国立大学なので税金のムダになる。成績が多少悪くても男
性を入れた方がいいと思う」と公然とおっしゃっていました。頑張ってやっと入学した
のに、ひどいことを言うなと思っていましたね。
働きながら年子を育て「ストレスで2回も十二指腸潰瘍に」
── 伊藤さんは結婚しても仕事を辞めなかったんですよね。
伊藤さん:中学卒業と同時に就職する方がたくさんいた時代に、私は奨学金をいただい
て国立大学に入れたので、選ばれているぶんの社会的責任を果たそうという意識があり
ました。仕事を本気で辞めようというのは一度も考えたことはありません。大学在学中
に、24歳で同級生の夫と結婚し、長崎大学医学部で基礎の病理学教室で助手として勤め
ながら、年子で2人の子どもを授かりました。MISIAの兄と姉ですね。今でいうワンオペ
で働きながら子育てをするのはなかなか大変でした。
長男と年子で長女を出産し、まるで双子のような感じで、寝る間もないくらいの忙しさ
でした。病理学教室は定時に帰れるのですが、解剖などが入れば当番制で夜中に呼び出
しもあります。それに病理学は研究が命なんです。病理学教室の皆さんにはとても協力
していただいたのですが、研究だけは自分でしなくてはなりません。子育てをしながら
本を読む時間がなかなか取れず、ストレスで2回も十二指腸潰瘍になりました。
── 仕事と子育ての両立は、今よりさらに大変だったことと思います。
伊藤さん:産前産後は6週間ずつ休んで、生後43日目から無認可保育所に預けました。2
人目のときは大学に保育所ができたのでそこに預けていました。でもそのころ、病児保
育はありませんので、子どもが体調を崩すと大変です。
朝から子どもが熱を出したら、どっちが休むか夫と揉めました。佐賀に住んでいた親が
2~3時間かけて来てくれていたので、親を待つ間もほとんど私が休んでいましたが、あ
る日、どちらが子どもを見るかで言い争いになりました。私が「今日の実験を組み立て
たのに、全部パァになっちゃう」と言っていたら、そのとき3歳だった長女が「病気に
なってごめんなさい」と言って泣き出したんです。ハッと我に返って「私は何をしてい
るんだろう」と思いました。自分が鬼のような母親に思えて一緒に泣いてしまいました
。
もう何度か講演会などでお話したこともあるのですが、このエピソードは子育てをしな
がら働くうえで大事な思い出となっています。長女はその後、歯学の道に進むのですが
、「あのとき、人生最高のフレーズを使ってしまったかもしれない」と言っていました
。
「子育ては手伝うもの」という認識
── 娘さんの仕事人生にも大きな影響があったんですね。
伊藤さん:どうにかこの状況を変えようと、大学の同級生に仕事と子育てで悩んでいる
ことを相談したら、「シルバー人材センターの方にお願いしたらいいよ。子どもの扱い
も上手だよ」とアドバイスを受けました。
それからシルバー人材センターの方に午後の4時間、家に来てもらうことにしました。
買い物や掃除、洗濯、そのあとも学童保育などがない時代に子どもたちの帰宅後の見守
りもしてもらっていました。今でいうシッターさんを兼ねたような感じですね。すごく
子どもたちをかわいがってくださる方もいて、子どもたちがその方の家にお泊まりに行
くこともありましたよ。だいぶ私にも心の余裕ができました。
── 子育ての問題を夫婦で解決する方法は取らなかったんですか。
伊藤さん:私自身、家事の分担はともかく子育ての分担について夫と基本的な話をして
こなかったんです。共働きしていてもやっぱり当時はアンコンシャスバイアスがあって
、夫にはあくまで子育ては手伝ってもらうという意識でした。私がそうなので、夫も当
然、自分はよく手伝っているという認識なんですよね。
夫婦が50:50であるというところから話し合ってスタートしていないので、夫もできる
範囲でしか子育てはしません。最初にちゃんと話し合うことが大事ですね。でも、今考
えても、夫もあの時代に男性が、「子どもが熱を出したので帰ります」と職場で頭を下
げて帰るというのはできなかったと言っていました。孫ができてからは「子どもたちが
小さいときに、もっと関わってきたらよかった。もったいないことをしたな」と言って
います。
── 父親が子育てをする光景は、当たり前と言ってもいい時代になりました。
伊藤さん:お父さん方には、子どものケアはチャンスですよと言いたいです。人のお世
話を通して自分のケアも身につきます。たとえば70歳を過ぎてから身の回りのことをし
ようと思っても難しいです。子育ては自分の生活の自立にとっても最大のチャンスで、
子どもも懐いてくれますし、かわいがればかわいがるほど、かわいくなります。それに
「お父さんありがとう」と言って、一生大事にしてくれますよ。父親が関わることによ
って、子どもの自己肯定感が高くなり、学習能力が増すという論文もあります。いずれ
にしても、父親が育児をするのを社会全体が応援してほしいですね。今からでも遅くな
いので、ぜひケアをする父親に変わってみていただきたいですね。
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