[新聞] 婦人公論專訪 03 MISIA の母・伊藤瑞子「
看板MISIA (MISIA - 米希亞)作者CrystalDays (Endless World)時間2年前 (2022/08/09 04:22)推噓0(0推 0噓 0→)留言0則, 0人參與討論串1/1
https://fujinkoron.jp/articles/-/5582
婦人公論專訪 03 MISIA の母・伊藤瑞子「病気になってごめんなさい」3歳の長女が泣
いた時、自分を鬼だと思った。周りに謝りながらの仕事と育児でみつけたもの
小児科医である伊藤瑞子さんが、長崎県の離島・対馬の病院に院内保育と病児保育の施
設をつくったのは、30年以上前のこと。自身の経験から、育児をしながら働く女性を支
える環境づくりに関心を寄せてきた。5年前には、71歳で大学院へ。「育児の共有」を
テーマに、修士論文もまとめた。どのような問題もわが身に引き寄せて考える姿勢は、
2021年の東京オリンピック開会式で「君が代」を独唱し、『紅白歌合戦』でトリを務め
た次女のMISIAさんにも受け継がれているようだ。
70代で大学院受験。保護者の方と間違えられる
次女が歌手活動をしていることで、懐かしい方からご連絡があったり、思わぬ出会いの
機会も増えました。私たち家族は「MISIAエフェクト」なんて呼んでいるのですが(笑
)、3年前の私の修士論文が皆さんの目に留まったのも、まさに「MISIAエフェクト」な
んでしょうね。
70代の私がなぜ「育児の共有」を研究テーマに選んだのか。それは働く女性に立ちはだ
かるさまざまな問題にとどまらず、男女の別なく大切な、仕事と生活をいかに両立させ
るかという「ワーク・ライフ・バランス」のあり方について、一から学びたいと思って
いたからです。
院長を務めていたクリニックを長男が引き継いでくれることになり、週4日勤務となっ
た6年ほど前、近所にある福岡女子大学が行う「男女共同参画と地域活性化のまちづく
りアンケート」に調査協力する機会がありました。勉強会に参加したら、社会人大学院
生がとても颯爽としていらして。「私もまた学びたい」という意欲がムクムクと湧いて
きたんです。
調べると、入学に年齢制限はなし。社会人に向けて、講義も夜の時間帯に設定されてい
ます。入試当日は予想通り、校門で守衛さんに止められました。「保護者の方は外でお
待ちください」という言葉に「やっぱり」と思いながら、「いえ、私、受験生なんです
!」と返す、そんなことにもワクワクして。(笑)
育児休業なし。産後43日目で職場復帰
私は、終戦が間近に迫った1945年4月生まれ。父の勤め先は満鉄(南満洲鉄道)で、生
後4ヵ月のとき、母とともに現在の北朝鮮から日本に引き揚げてきました。
激動の時代、祖父がひとりっ子の私にいつも言っていたのは、「これからは女の人も手
に職をつけなければいけない。そうすれば、どんなことがあっても働いて生きていける
」ということです。
当時の私にとって、女性の安定した職業といえば教師か医師でしたから、医師の道を選
びました。長崎大学医学部在学中に学生結婚。卒業後、長崎大学病理学第2教室に入局
し、長男を出産しました。公務員なので、産前と産後にそれぞれ6週間の休みはありま
したが、もちろん育児休業はなし。職場に復帰したのは産後43日目です。首も据わらな
い乳児を預かってくれる保育所はありませんでしたので、無認可保育所を頼りました。
その翌年に長女を産んだときには、大学病院の中に保育所ができていたので、休み時間
に母乳をあげることができました。ただ、病理学教室での仕事は解剖や生検、研究はも
ちろん、学生の教育や指導の補助もあって本当に忙しい。一番困ったのは、病気で保育
所に預けられないときでした。
というのも、夫のような大学医局の臨床医は、あちこちの病院を転勤しながら経験を積
むため、勤務が不規則。とりわけ夫は外科医としての仕事に熱心で、まったく頼ること
ができなかったのです。
佐賀に住む実母を頼ろうにも、長崎のわが家に到着するまでに3時間はかかります。い
ま思えばわずかな時間ですが、その間、夫と私のどちらが子どもに付き添っているかの
攻防で、結局いつも私の仕事に皺寄せがくるのでした。
毎日周りに謝りながら仕事と育児の両立
職場で「ごめんなさい」、保育所の先生に「ごめんなさい」、子どもたちにも「ごめん
なさい」。なぜ私は、毎日こんなに謝りながら働いているのだろう、と悩みは深かった
ですね。「どちらが仕事を休むか」で夫と揉めて、3歳になった長女が「病気になって
ごめんなさい」と泣き出したときには、自分が鬼のような母親に思えたものです。
このままでは、仕事も育児も満足にできない。31歳で夫の勤める国立長崎中央病院(現
・国立病院機構長崎医療センター)へ移ったのは、病院と院内保育所と官舎の3つが徒
歩5分圏内にあったからです。年齢が6歳も若い人たちと同じ立場の研修医として、ゼロ
からのスタートでした。
官舎は職場と住まいが近すぎるので、皆さん、あまり入りたがらないんですよね(笑)
。でも私にはありがたかった。そして、同じような悩みを乗り越えてこられた病理学教
室時代の女性医師の言葉が、支えになりました。
「あと3日、あと1週間頑張ってみようと自分に言い聞かせて、それが1ヵ月になり、1年
になり、私もここまできたのよ」
1日1日を乗り切る私の胸には、いつもこの言葉があった気がしますね。そうして、子ど
もたちに手がかからなくなってきたころ、「もう1人産める!」と考えることができた
。それが次女のMISIAです。
これまでと同様に、産後43日目で復帰。当直、超過勤務もしました。夫の不在時の深夜
に呼び出しがあれば、24時間体制の院内保育所へ。次女は3歳で市中の保育所に移るま
で、ここのお世話になりました。
家族で長崎県の対馬へ。離島医療の充実を
家族で長崎県の対馬に渡ったのは、長男が中学2年、長女が中学1年、次女が5歳のとき
です。長崎は離島の多い県ですから、緊急時には自衛隊の協力のもと、ヘリコプターで
患者を搬送するシステムが整っていました。それでも、現地で最新の治療をしたほうが
いい。離島医療や地域医療の中核となる病院に勤めて、夫はそう考えるようになったの
でしょう。
ようやく仕事が楽しくなってきたところでしたので、私には迷う気持ちがありましたが
、夫婦で島内の長崎県離島医療圏組合対馬いづはら病院(現・長崎県対馬病院)に赴任
することを決めました。
4年後、病床数を200床に増やして病院を新築するにあたり、私が絶対につくりたかった
のが院内保育と病児保育の施設です。看護師さんの子どもを預かる小さな託児所はあっ
たのですが、赤ちゃんは預かれないし、子どもが病気になれば働けない。私自身、その
ことで非常に苦労しましたから、病児保育室の開設は私の切実な願いでもありました。
ただでさえ人手不足の離島です。本土から看護師さんにきてもらい、しかも長く働いて
もらうには、育児しながら働ける環境が絶対必要だと思いました。それに保母の資格を
持つ女性は島内に多くいたので、結果的にその雇用やモチベーションの向上にも繋がっ
た。
あのときつくった病児保育室は、いまも看護師さんや赴任した女性医師たちの助けにな
っていると聞いています。
小学6年生で「歌手になる」と宣言
長男と長女は、中学卒業とともに対馬を離れ、佐賀の私の実家に寄宿して高校に通いま
した。それは、ある日長男から「高校受験の参考書が買えない」と言われたから(笑)
。それまで私もぼんやりしていたのですが、離島は書店も少ないし、ほしい本があって
も、いまのようにネットですぐに届く時代でもない。そこで私もようやくハッとしたわ
けです。
当初、小児科医は私だけでしたから、夜に呼び出しがあれば何時でも病院に行かなけれ
ばなりません。島に一人残った次女が眠るのを見計らい、こっそり家を出るのですが、
あるとき彼女が眠ったふりをしていることに気づいた。互いになにも触れませんでした
が、子どもながらに事情を察し、我慢してくれていたんだと思います。
子どものために親が自分の人生を犠牲にする。それもひとつの生き方として賛美される
でしょう。でもね、母親も社会の一員なわけです。だから社会に責任を果たす姿を見せ
てもいいのだと私は思ってきました。きっと次女は、夜中に出かけていく私をそういう
ふうに見ていたのではないでしょうか。
世界中で、湾岸戦争をはじめとする紛争が続いていたころの、次女の作文を思い出しま
す。亡くなる子どもの数のほうが、兵士の死者数より多いと知った小学生の彼女は、「
私は子どものままで死にたくない。だから私が大人になるまで戦争をしないで。戦争を
させない大人になるから」と書いていました。「戦争をしてはいけない」と言うのでは
なく、わが身に引き寄せて考えるところが次女らしいですね。
アフリカや子どもたちへの支援活動も、歌うことと同じような気持ちで取り組んでいる
んだと思いますよ。誰かを明るくするために、自分はなにができるのか。そして、それ
が叶えば彼女にとって嬉しいことなのでしょう。
子どもが大好きで、対馬にいたころも、夏休みの間などによく病院の保育所を手伝いに
きていました。幼いころから音楽に興味を持ち、対馬では合唱団にも入って。発表会を
一緒に観に行ったら、知らないうちに一人で入団申し込みに行っていたんです。(笑)
小学6年のときには、もう「歌手になる」と宣言していたので、家族も彼女の歌を楽し
んだり、レッスン先を探したりして応援しました。ただオーディションを受けるといっ
た本格的な活動は、大学に入ってからでも遅くない、と私は伝えていました。
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