[新聞] 婦人公論專訪 01 MISIA「どんなに成功し

看板MISIA (MISIA - 米希亞)作者 (Endless World)時間2年前 (2022/08/09 03:43), 2年前編輯推噓0(000)
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https://fujinkoron.jp/articles/-/1472 婦人公論專訪 01 MISIA「どんなに成功したとしても独りぼっちは寂しい」ライブで成長 した彼女の歌にのせる嘘のない想いとは 1998年のデビュー以来、その豊かな歌声で多くの人を魅了し続けている歌手のMISIAさ ん。2021年の東京オリンピック開会式で「君が代」を独唱し、『紅白歌合戦』でトリを 務めるなど、日本を代表する歌手として活躍中です。『婦人公論』2022年4月号にて MISIAさんの母であり、小児科医として働く伊藤瑞子さんに、働き方や子育てについて 語っていただきました。それに合わせて今回は『婦人公論』2019年9月10日号より、 MISIAさんの活動に対する想いを伺った記事を配信します。音楽活動に加えて、2007年 にケニアの首都ナイロビに訪れて以来、アフリカと関わり続けており、その活動は多岐 にわたります。MISIAさんの根底にある平和への想いや社会貢献は、両親が医師である ことも関係しているそうです。※今回の記事は『婦人公論』2019年9月10日号掲載当時 の表記を活かしてます 紅白の舞台裏はものすごい緊張感 中村 こんにちは。昨年末の『NHK紅白歌合戦』でのMISIAさんの歌唱は、圧巻のパフォ ーマンスでしたね。出演して、いかがでしたか。 MISIA 紅白でNHKホールに出演するのは初めてでしたが、会場自体はライブで使ったこ とがあり、いつもと同じように歌を届けるという気持ちで臨みました。生音にこだわっ て演奏しようということになって、「アイノカタチ」「つつみ込むように…」を歌わせ てもらいました。舞台裏はものすごい緊張感でしたが、初めて経験して思ったのは、良 いステージを作ろうというエネルギーが溢れているということ。すごくいい活力をもら いましたね。 中村 歌う時は緊張しますか? MISIA 緊張しますね。でも歌う前にプロデューサーが「カメラの向こうにはいろんな 人がいる。番組を自宅で見ている人、家族で見ている人もいれば、入院先の病室で一人 で見ている人もいる」と。それを聞いて、歌を届けたい人のイメージがはっきりと見え て、みなさんが「来年はいい年になるかも」と思えるような歌を歌いたいと思いました 。だからあの時は、いつも以上に心を込めて精一杯歌いましたね。 中村 紅白ではサザンの桑田さんとユーミンの絡みが印象的でしたが、同じ舞台に MISIAさんの姿も。 MISIA はい、すごく楽しかった(笑)。ステージでは先輩方に、あっちに行くのよ、 こっちに行くのよって立ち位置を教えてもらったり。でも最後はお祭りムードで、もう 立ち位置とかは関係なかったかも(笑)。ステージに上がっちゃったら、あとは一所懸 命やるだけですしね。 松田聖子さん、aikoさん、椎名林檎さんの隣で 中村 自分の歌を歌い終えた時はどんな気分でしたか。 MISIA 内村(光良)さんや櫻井(翔)さん、あと(広瀬)すずちゃんがその場で感想 をくださったのが嬉しくて。コメントは台本にはないそうで、みなさんの言葉に感動し ちゃいました。振り返ると、会場が一体になっていましたね。その雰囲気が多分テレビ でも伝わったんじゃないかな。 中村 MISIAさんの歌の後、観客は感動のあまり一瞬静まりました。本番後の打ち上げ は? MISIA はい、参加させていただきました。石川さゆりさんに誘っていただいて、新年 のカウントダウンは北島三郎さんの楽屋でやりました。氷川きよしさんともお話ししま したね。とにかく全員が和気あいあい。ステージでは松田聖子さんが私の左隣にいらし て、右隣がaikoさん、その横が椎名林檎さんだったのでデビュー98年組が3人並び、そ して聖子さんと林檎さんと私が福岡が地元という話題で盛り上がりました。 聖子さんが「私、デイヴィッド・フォスターさんにプロデュースしてもらったんだけど 、MISIAさんもそうでしたよね」と気さくに話しかけてくれて、感激しました。やっぱ り音楽ってジャンルを超えて、人と人を繋ぐんだなと思いました。 中村 ご家族からは、何か反応はありましたか。 MISIA 嬉しかったのは、いつもは夜9時ぐらいに就寝する祖母が、紅白は頑張ってずっ と見てくれたようなんです。実は先日亡くなったんですけど、紅白のステージ姿を見せ ることができて良かったなと思います。祖母は知り合いにも「孫が紅白に出る」と言っ て喜んでいたそうです。 中村 おばあちゃん孝行でしたね。 MISIA 家族とは離れて暮らしているので、大晦日にはなるべく一緒に過ごすようにし ているんですけど、そうやって画面越しに家族が見てくれたというのは嬉しいなと思い ましたね。 デビューした時の歓声が忘れられない 中村 デビューして21年。4月には平成最後の日に武道館でライブを行いました。 MISIA 私は昭和生まれですけれども、平成になってからソウルミュージックに出会い 、それから歌手になりたいと思って歌を習い、デビューしました。いろんな楽曲を歌わ せていただいて、だから私にとって平成は音楽のすべてが詰まっている時代。 武道館は海外のアーティストが最初にライブを行う地だったりもしますが、国際交流や 平和を目的に建てられたその場所で平成の最後に歌い、平和への想いと音楽の歴史を感 じることができました。 中村 ライブでは毎回、ファンに感謝のメッセージを送られていますが、その想いを教 えてもらえますか。 MISIA 初めてステージに立った時に、びっくりしたんですね、あまりにも幸せで。 中村 幸せ? それはいつ頃ですか。 MISIA デビューが決まった1998年3月3日、お雛様の日です。クラブでデビューしたそ の時の歓声とか盛り上がりがもう忘れられなくて。何かいっぱい体の中に入ってくるよ うな感覚があって、これは何だっていうのを教えてもらった。私、ライブで成長してい ったような気がするんです。 同時にやっぱりファンの人、そして長年一緒にやってくれた仲間がいたのは幸せなこと 。どんなに成功したとしても、独りぼっちって寂しいですよね(笑)。私の音楽の中に はいろんな人の人生や命を懸けたものが詰まっている。そんな想いが歌手活動にがって いるような気がします。 中村 なるほど。 MISIA 歌とかエンターテインメントって夢の世界のイメージですけど、私はすごくリ アルな世界だと思っていて。もちろんストーリーはであっても、そこに込められている メッセージは本当じゃないといけない。本当の気持ちで歌っていない歌は、何か起こっ た時、もうびっくりするぐらい嘘が漏れる。 東日本大震災が起こった時、自分が歌っていて思ったんです。本当の気持ちで歌ってき た歌はちゃんと伝わる。あなたのことを思っているということが伝わるんだと確信しま した。 -- https://www.facebook.com/MISIAnews MISIA 情報彙集應援專頁 -- ※ 發信站: 批踢踢實業坊(ptt.cc), 來自: 180.176.95.23 (臺灣) ※ 文章網址: https://www.ptt.cc/bbs/MISIA/M.1659987813.A.7E2.html ※ 編輯: CrystalDays (180.176.95.23 臺灣), 08/09/2022 07:38:50
文章代碼(AID): #1YyMTbVY (MISIA)
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