[新聞] MISIA ×加藤登紀子 対談全文

看板MISIA (MISIA - 米希亞)作者 (Endless World...)時間10年前 (2015/10/12 20:59), 編輯推噓0(000)
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http://mainichi.jp/feature/news/20151005mog00m070009000c.html おんなのしんぶん・加藤登紀子:Tokiko's Kiss MISIA ×加藤登紀子 対談全文  加藤登紀子さんが会いたい人と語り合う連載「Tokiko’s Kiss」。5日 朝刊に掲載され たミュージシャンのMISIAさんとの対談の詳報です。ライブなど 通じて親交がある二人。対談は終始、和やかな雰囲気で進みました。  ◇長崎の平和教育 加藤さん 今年、長崎の対馬へ行ったんですが、偶然、現地で案内してくれたのが、M ISIAさんが通った学校の先生でした。たまたま、目保呂ダム馬事公園へ行った時に 、MISIAさんのサインが飾ってあって、それを見て、「あら」ってうれしくなって 、私がMISIAさんとお友達だっていう話をしたら、その方が驚いて。MISIAさ んが書いた作文をあとで持ってきて、見せてくださったんです。 MISIAさん この作文をきっかけにして、「今の子供たちは平和をどのように受け 継いでいるのか」といったテーマで、テレビのロケのために長崎市立城山小学校を訪問 し、子供たちに話を聞かせてもらいました。 加藤さん 城山小学校は、被爆した学校ですよね? MISIAさん はい。爆心地から500メートルくらいの場所にあります。戦後、学 校がなくなってしまい、再建したそうです。長崎に原爆が落とされた8月9日の月命日 に毎月、平和教育をやっています。1~6年生まで、その年その年で、やっていて。被 爆した校舎などが学校の中に保存されています。子供たちが、それを一つずつ学び、平 和について考える。「自分たちに何ができるのか」と。考えて、後輩に伝えていく。そ れを最終目標にして、子供たちが学んでいくんです。 加藤さん MISIAさんは子供の頃に対馬にいらっしゃったんですね? MISIAさん 父と母の仕事の関係で暮らしていたことがあります。親戚がいないも のですから、なかなか対馬には帰るきっかけがなくて……。 加藤さん 作文は対馬にいる時に書かれたものだったですね。 MISIAさん 中学1年生だったみたいです。私も記憶があいまいだったんですけど 。 加藤さん その作文を拝見しましたが、MISIAさんのおじいちゃんが戦争に遭った 話を丁寧に作文に書いていらして、「大人の人たちが私たちが大きくなるまで平和を守 ってください、その後は私たちが守ります」というような素晴らしい文章を書いていら して……。 MISIAさん 作文をいただいた時は、13歳の自分から大人になった自分へ手紙が 来たような気持ちになりましたね。ただ、祖父に話を聞くのも、すすんで毎回話を聞け るわけでもなかったんです。何かをきっかけに話を聞けてよかった。祖父に限らず、戦 争を体験している人は、身内には生々しい話はあまり語りたがらないのではないかと思 うんですよね。 加藤さん あの時は、戦争や平和などを作文の課題にしなさいと言われていたの? MISIAさん 特に作文コンテストのために書いたものではないのでは……。「夏休 みの作文の宿題で祖父に話を聞いたことを書いたのではないか」と母は言ってました。 長崎では、「平和教育」が学校で行われています。この平和教育のプログラムの中で、 ある程度、戦争の事実を知り、歴史を学んだところで、身内に聞いて話してもらうとい う流れを持つことができました。やはり平和教育は大事だと思います。 加藤さん 小学校で子供たちと対話されたということですが、そういうふれあい方は初 めてでしたか? MISIAさん ええ。子供たちに、「平和って何だと思う?」「戦争って何だと思う ?」って聞いてみたんです。そして、すごく印象的だったのは、「戦争っていうのは、 みんなの心が傷ついていて、だから起こるんだと思う」という言葉でした。子供たちが 「平和っていうのは、みんなの心が明日とか未来とか、わくわくしていて、笑ったり、 怒ったりできること」って言うんですよね。その言葉、「本当にそうだよな」って。「 じゃあ、もし戦争になりそうになったらどうする?」って聞いたら、「それでも、私た ちが学んだことを伝え続けなくてはいけないと思う」と答えていた。子供たちの感受性 というか……、子供も、しっかり感じて、考えているんだなって思いました。 加藤さん 大人が思うよりしっかりしている。 MISIAさん はっ、とさせられましたね。 加藤さん 平和っていうのは、未来が光り輝いていて、みんながわくわくどきどき楽し んでいて、「だからそのために自分もすてきに生きたい」と思いが満ちていることしょ うか。日本では、今年9月に自衛隊の海外派兵が可能となる安全保障関連法が成立しま した。いろんな方から「これから日本はどうなると思いますか?」と聞かれます。日本 は、憲法9条があって、これまでは、絶対に外国を攻撃することのない安心な国と思え ていたんだけど、今回の法律成立で、ある種の変化はあったと思うんです。  だからといって、すぐに日本が戦争に加担することが決まっているわけではない。急 に日本の国全体が暗くなってしまって、悲壮な気持ちになっていることはあまりいいこ とじゃないなって思っています。  急に日本の国が変わってしまったりするようなことをどこかで止めていくためには、 子供たちが語っているように、今が平和であることに対するうれしさみたいなものを感 じていなければいけないと私自身が、強く感じているところです。そんな中、音楽には 「生きていることはすてきだよね」というメッセージを発信する力があると思います。 MISIAさん 言葉を使って歌っているけど、音楽は言葉以上の何かを感じることが できると思います。 加藤さん 以前、パレスチナ自治区の孤児院へ行った時、子供たちが素晴らしい歌と踊 りを見せてくれたことがあります。孤児院の先生が、戦争で両親を亡くして、独りぼっ ちになった子を紹介してくれました。先生は「彼の体験した出来事は、本当に怖いこと だし、忘れたいような出来事だけれども、この子たちはここが人生の原点だから、知っ ておかなくてはならない」とお話しされました。そして「自分たちがどのような経験を したのかについて、全部音楽にするんだ」と。音楽にして自分の体験や気持ちを歌って いると、音楽って楽しいから、それで踊ると、みんなを楽しませることになるというこ とではないかと。そうすれば悲しみは音楽に変わると孤児院の先生が言ってくれたこと があるんですね。  ◇アフリカを訪れて見えたもの 加藤さん 長崎で子供たちの話を聞いたということですが、2007年くらいから、M ISIAさんは、アフリカに行かれて、たくさんの子供たちと触れ合っていらっしゃい ますね。最初はどのようなきっかけで行かれたのですか? MISIAさん 05年に世界の貧困をなくす取り組みとして、体に白いバンドを身に つけ、貧困撲滅の意思を表明する「ホワイトバンドプロジェクト」に参加したことがき っかけです。 加藤さん もともと、アフリカの音楽も歌っていたの? MISIAさん 以前は、聴いているだけでした。ワールドミュージックと言われるも のから、太鼓だけセレクトしたアフリカの音楽などは聴いていました。「ホワイトバン ドプロジェクト」に参加した後、「次は自分には何ができるのか?」と思った時にすご くあいまいな答えしか見えなかったんです。その後、ロックバンド「U2」のボノさん にお会いする機会があったんです。ボノさんは「アフリカにまだ行ったことがないなら 、行ったほうがいい。見ればいいんだ」とおっしゃられて。それで、「一度行ってみよ う」と。07年にきっかけをいただいたので、最初はケニアに行きました。 加藤さん 個人旅行ですか? MISIAさん いえ。アートディレクターの方と一緒に行きました。彼が映像と写真 を撮っていました。ケニアにアフリカ最大のスラムとも言われる「キベラスラム」があ るんですが、そこに行こうと。キベラスラムに住んでいる現地の女性が、親のいない子 供を自分の家に連れてきて寺子屋のように文字を教え始めました。それがきっかけで、 ちょっとずつ大きくなって、キベラスラムの小学校になったんです。そこで、子供たち の話を聞きました。 加藤さん 私が初めてケニアにいったのは1986年です。その時は、ナイジェリアの 内戦後、ビアフラという地域で孤児が飢え死にしているという報道が日本でなされてい たころで、ケニア駐在員になった新聞記者の友人に誘われて訪問しました。行ってみる と、現地のみんなは、光り輝くほどの笑顔だったんです。ビクトリア湖のほとりに行っ て、たくさん音楽を聴きました。子供たちも遊びに来てくれました。トゥルカナ族の住 んでいる北の方にも行ったのですが、まったく危ないことはなくて。夜中に酒瓶をポケ ットにつっこんで、彼らの踊っているところへ行ったりと、そういう旅をしました。  2001年、私は国連環境計画(UNEP)の親善大使になり、UNEPの本部がナ イロビにあったので、再びケニアを訪れました。ケニアの人たちに、1986年にも来 たことを告げたら、「とてもすばらしい時に来たね」と言われました。あれからどんど ん治安も悪くなったとのこと。トゥルカナ族が住んでいたトゥルカナ湖周辺には、「今 は危険で絶対に遊びに行けないですよ」と言われてしまい、ショックでした。MISI Aさんはケニア以外に行かれたアフリカの国はどこですか? MISIAさん マラウィ、マリ、南アフリカ、ナミビア、セネガルですね。 加藤さん 今、アフリカを見てきて思うことはありますか? MISIAさん 最初行った時、考えさせられたのは「豊かさとは何だろう」というこ とですね。1日1ドルほどで暮らしている方を「絶対貧困」。経済的な言葉であります が、貧困の指数とされています。しかし、ケニアに行ったら、貧困の中で苦しんでいら っしゃる方もいる一方で、貨幣を使わずに自給自足で生活している人たちがたくさんい て、そういった方はすごく幸せにしてらっしゃるんですよ。ツンザ村という村人が自給 自足で暮らす村を訪れたのですが、そこの村でいただいたカレーが、私が今まで食べた ものの中で一番おいしかった。  もともとそこの村では、畑で作物を作ったり、漁をして魚を取ったりしていたんです 。しかし、近くに工場ができ、水が汚染されて魚に被害が出た。工場建設のため、強制 的に立ち退きをさせられたと聞きました。もう、その場所には村はないんです。「物質 的豊かさ」を求めた結果、「精神的豊かさ」を壊すことがあるという現実を知ることに なりました。 加藤さん まさに私の感じてきたことと全く同じですね。「絶対貧困」をなくすことを テーマにした国際会議で質問したことがあります。「地球上には自給自足で、お金を使 わない地域が、非常に少なくなっているけどまだ残っている。そういうところは人類の 暮らしの原点で大切だから、自給自足が可能な地域をそのまま保護しましょう」と発言 しました。  その発言に対して、その会議の講演者は「そういう地域に住んでいる人たちが、自然 から得るものに対してお金を払っていない」と答えた。「お金を払わずに、自然からも のを得ている人たちがいると、自然が破壊される」と……。この言葉は震えるほどショ ックでしたね。 MISIAさん 貨幣経済では語れない豊かさについて、「どうやったら伝えられるん だろう」と考えさせられます。  ◇女性がカギ 加藤さん アフリカで印象的だったのは女性ですね。アフリカの支援は女性がカギじゃ ないかと思います。女性に支援を託すのは大賛成です。バングラデシュのグラミン銀行 は主に女性にしか貸さなかったのね。女性は生活を改善する、持続的に変えていけるこ とに役立てることに力があると思います。安心して女性にはお金を貸すことができる、 と。 MISIAさん 国際協力機構(JICA)がセネガルで行っている井戸を作る支援を 見せていただいたことがあるんですが、井戸ができるまでは子供たちが遠くにある水場 と村を何度も何度も往復していたんです。井戸ができたことで、女性には自由な時間が できた。女の子が学校に行かせてもらえるようになったり、文字を学べるようになった りしました。 加藤さん アフリカでは、水をくむ、重いものをかつぐ、たきぎを取る、畑を作る、子 育てをする これら全部を女性がやるんですね。男性は何をしているのかしら(笑い) 。 MISIAさん もともとは、狩りをやっていたとかだったのでしょうか。男女の役割 分担があって。 加藤さん 役割分担があって、生活に関わること全般は女性がしていた。でも、それら のことを決める公式の会議の出席者は男性ばかり。女性は会議に出てこない。  来日したアフリカのミュージシャンにそのことを話して、「なぜアフリカは女性だけ が頭の上にあんな重いものをのせるのか?」って聞いたの。そうしたら、そのミュージ シャンが「女性はすごい。ああいうことをできるのは女性だけだ」と言っていた(笑い )。 MISIAさん 伝統的な暮らしをしているところは、それでうまくいっているんです けどね。一方、近代化を迫られて、住む場所を決めて定住しろとなると、それまでの暮 らしを捨てて生活するので、どうしていいかわからなくなるんですね。  ◇声の楽器 加藤さん アジアとアフリカってもっと近くて深いつながりがあるんじゃないかとよく 思うんですよ。南アフリカにはズールー語という言語がありますが、日本語と同じよう な言葉いっぱいありますよね。レコーディングで行った時に、「オーケー」とか「オー ル・ライト」とか言っている時に、何かのはずみに「はい」とか日本語で言っちゃうん ですね。そうすると、みんながぎょっとなるんですよ。 MISIAさん 何でしたっけ? その言葉。 加藤さん 「はい」という言葉はズールー語で「ノー」という意味だったのね。それで 、「あっそうか」と大きくうなずいたの。そしたら、またみんながギョッとなるわけよ 。「何で?」と聞くと、「登紀子ここにいていいのか」って言われて。「あっそうか」 って、ズール語で「出て行け」という意味の発音だったらしいんです(笑い)。笑っち ゃって。本当に日本語と似ているから、うっかり日本語で言うと違う意味で受け取られ かねない。 MISIAさん 似ているんですね。音楽では、変拍子なのも似ているかもしれません 。日本の民謡も1拍子、2拍子、3拍子があって、アフリカの音楽は混在しています。 3拍子、5拍子とかが一緒になっている。 加藤さん 変拍子って民族音楽に多い。ルネサンスの初期にもあるんですよ。南米にも そういったものがありますね。南アフリカのズールーの音楽をご存じですか? お相撲 さんのしこ踏んじゃうみたいな感じです。そして、「えんやとっと」みたいなリズムで すね。ここが原点。人類はここから始まったわけだから。南アフリカは太鼓もなくて… …。 MISIAさん 体を使って、音を出す? 加藤さん ええ。ケニアのトゥルカナ族の村へ行った時も楽器はなかった。「うんうん 」とか声で音を出すのよ。手と足のリズムだけで一晩中やっているみたい感じです。だ から楽器がなくても、音楽が成り立つのね。まさに「声の楽器」ですよ。 MISIAさん 声といったら、「Misia Candle Night」で登紀子さ んの「時には昔の話を」をカバーさせていただいたことがあります。これは東日本大震 災をきっかけに始めたんです。復興への願いとともに、あの時私たちが学んだ大切なこ とを見つめ直すきっかけを作ろうと。その後、ラジオで一緒に歌わせていただく機会が あって、その時改めて、加藤さんの心の深いところに届く、語りかけるような歌声に感 動しました。何かを感じました。デビュー50周年を迎えられた加藤さんの歴史の重み を感じます。  アフリカに話を戻しますが、現地で母親たちに「いくつですか?」と聞いて、「お若 く見えますね」と言うと、怒られてしまうんです。アフリカでは「年相応に見られる」 ということが、ほめ言葉なんですね。逆に「若い」と言われるのは恥ずかしいことだと 。「きちんと年を重ねてきていない」ということなのです。日本では、若く見られるこ とが良いことだとされていますがね。 加藤さん 私たちもそうでありたいです。アフリカって母親やおばあちゃんを大事にし て、「女性が愛されているな」って思いますね。日本もかつてはそうだったと思うんで すけど。女性が社会の中で力を発揮するにはどのようにしたらよいと思いますか? MISIAさん 以前は、社会に出て「男性のように働くこと」イコール「男性にも負 けないこと」だという気がしていましたが、だんだんとそうじゃないんじゃないかと思 えてきています。「女性ですから、女性の意見もありますし、女性としての生き方もあ ります」と堂々としているということが、大事だと思います。堂々と女性らしく生きる ことで、社会によいメッセージを伝えていくことができると思っています。 加藤さん 女性が、抱えている生活や考えていること、感じていることを要求して、社 会を変えていくことで、社会全体が変わると思いますね。  ◇ファッション 加藤さん MISIAさんのファッションスタイルはいつごろ決まったんですか? 最 初から、アフリカっぽい感じがしていたんだけど。 MISIAさん 確かに初期からドレッドヘアーでした。デビューした頃、ドレッドヘ アーが男性の間ではやっていたんです。アメリカでも海外でも、この髪形だといろんな 音楽のジャンルの人と一緒にやれるということもあってやっていたんですが。今もドレ ッドにしたり、編んだり、布を巻いたり……。 加藤さん 定番になっている頭のターバンですが、いつも、誰が巻いているんだろうっ て。「巻いている現場をみたいな」と。MISIAの秘密を見てみたい……(笑い)。 MISIAさん ハハハ、簡単ですよ。くるくる……。登紀子さんもいつもカラフルな 衣装で……。 加藤さん MISIAさんの魅力の一つにファッションがあって、いつも楽しみにして いるんですよ。  ◇子供たちへ 加藤さん 今度、MISIAさんは、「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」のエ ンディングテーマを歌われるんですね。 MISIAさん はい。オルフェンズは「孤児たち」という意味。私が行ったアフリカ にはたくさん孤児がいます。そして、日本にも孤児や、虐待を受けた子供など、大人か らの愛情を必要としている子供たちはたくさんいるんです。そんな不安な気持ちを抱え ながらもたくましく生きる子供たちに向け、「強く生きてほしい」という思いを込めて 歌っています。 加藤さん MISIAさんは、幅広い世代に支持されていますね。 MISIAさん 10代の頃からファンだった人がママになったりして、いろんな人が ライブに来てくれます。加藤さんのコンサートもいろんな方がいらっしゃっていますね 。私はいつかまた、加藤さんと歌いたいです。 加藤さん 本当にうれしい言葉ですね。 -- https://www.facebook.com/MISIAsupporter MISIA 情報彙集應援專頁 -- ※ 發信站: 批踢踢實業坊(ptt.cc), 來自: 118.232.237.163 ※ 文章網址: https://www.ptt.cc/bbs/MISIA/M.1444654773.A.6BE.html
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